散りぬれど
「私は枯れた花が好きだ」――これは、田島一成の写真集『*WITHERED FLOWERS』に坂本龍一が寄せたメッセージの冒頭の言葉です。この後に続く文の全てを紹介することはできませんが、何度読み返しても、坂本龍一ならではの感性が感じられます。
私もまた、枯れた花を眺め、その花びらが一つずつ優雅に散っていく様子を見ることに、喜びを感じます。時折、花や植物を題材にした写真展を訪れると、満開の花を捉えた魅力的な展示物の中に、開花を終えようとしている花々の作品が数点混じっていることがあります。そうした情景が好きだから、私自身も花が枯れていく様子を写真に収め、たとえ儚くとも、その花が輝いている瞬間を大切にしています。
ところで、1600年から1800年頃に制作されたフランドル絵画には、枯れた花や腐った果物で飾られた花瓶の場面がしばしば描かれています。私が初めてこれらの絵画に出会った際、美術館の学芸員に尋ねたところ、それらは「ヴァニタス(虚栄)」に対する戒めとして描かれていると教えてくれました。空想により描かれているのは、折れた茎、穴の開いた葉、傷んだ果物などです。そのような寓意的な意味が存在することを知り、私は驚きました。
この空想上の絵画について、シェイクスピアの**ソネット64の一節を私は思い出します。
> 「時の残酷な手によって、
> 過ぎ去り埋もれた時代の、豊かで誇り高き装いが、
> 傷つけられるのを見てきたとき」
これらの詩句もまた、美の儚さと、執着の虚しさを物語っています。宗教的な戒めよりも時間経過に伴う劣化という残酷さのほうが、わかりやすいでしょうか。
私は平家物語の「諸行無常」という概念なら知っているものの、プロテスタント流の「虚栄の罪」とか虚栄に対する警告はピンときにくいです。仏教の教えの中にも「煩悩」から生まれる欲望を抱くことを戒めるものもあります。とはいえ、「煩悩」を完全に否定するのではなく、適度に抱き続けるほうが良いと、私は思います。
枯れた花や穴の開いた葉を「虚栄」(ヴァニタス)に対する警告として見るのは思想の自由なので尊重しますが、開花のサイクルを終えた花の中にこそ私は美を見出したいです。植物が輝きを放つ、その儚い瞬間を捉えたいのです。
だから、私は、このページのタイトル候補を考えました。
「ちりぬれど なお匂ひけり 風光る」
日本の5・7・5のリズムには沿っていますが、これは俳句を意識したわけではありません。リズム感を優先させただけです。
このページのタイトルとしては少し長すぎます。ページタイトルには、この最初の部分だけを使おうと思います。
この題名が、日本文化として広く知られている「いろは唄」をアレンジしたのかと尋ねられるなら、その通りです。言葉の順序も逆転させています。無常よりも、再生や長寿を私は願っています。警告も大事でしょうが、それ以上に、希望を抱き続けたいのです。
参考文献
『*WITHERED FLOWERS』
写真:田島一成
文:坂本龍一
田島一成
翻訳:アンドレアス・シュトゥールマン
アートディレクション:長澤昭夫
編集ディレクション:田島一成 & 長澤昭夫
デザイン:中島宏
印刷ディレクション:高柳昇
2020年12月2日発行
限定900部
発行人:長澤昭夫
発行:長澤昭夫出版 〒104-0061 東京都中央区銀座4-9-5 銀商ビル6F
日本で印刷
写真:© 田島一成
テキスト:© 坂本龍一
© 田島一成
出版:© 田島一成 + 長澤昭夫出版 2020
シェイクスピアの**ソネットについて
魂の浄化と再生への讃歌-『ソネット』 : シェイクスピアからのメッセージ : 対訳
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I034390165
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